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※ 政治問題 ※ 福沢諭吉と伊藤博文が正しかった日韓併合 戦後政治と嘘つき安倍総理のホスト外交の失敗があっちこちで顕在化! |
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2019・2・9 編集委員 水沼啓子 産経新聞 戦後政治の過ち、飼い犬だった犬から噛み続けれる情けない日本! 日韓関係は「史上最悪」がさらに進み…対日外交を放棄した文在寅政権 |
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「記事内容」 「もはや無効」-。 よく、こんな玉虫色で完全防備された表現を思いついたものだ。 日韓両政府が1965年に締結した日韓基本条約に盛り込まれた文言だが、日本の朝鮮半島統治を規定した日韓併合条約(10年締結)はもはや無効という趣旨だ。 なぜこのように、いかようにも解釈できる曖昧な表現になったかというと、日韓両政府の主張が180度異なり、妥協の余地がない中で何とか国交正常化を実現するためだった。 ※日本政府は何故、日韓が正常化する必要があったのか? 嘘つき安倍総理の日露交渉と似ている気がする。 韓国政府は併合条約そのものが違法で、日本統治は初めから無効と訴え、一方、日本政府は合法的に条約が結ばれ、日本統治も合法的に行われたと主張していた。 併合条約が 「もはや無効」という表現は、日本の立場からすれば締結当時は合法だったが韓国政府が樹立したときに無効となったと解釈でき、韓国側からすれば締結当時から無効だったといえる。 互いに都合良く解釈できる究極の玉虫色の文言が生み出されたのだ。 これまでの日韓両政府は、こうした外交上の知恵を絞りながら、何とか局面を乗り越えようとしてきた。 ■対日外交を重視してきた韓国 東京大学で学んだ知日派の崔敬洛(チェ・ギョンナク)韓国国防大学院教授(当時)は共著「韓・日関係論」(85年刊行)の中で、対日外交の要諦をこう説いている。 日本人には建前と本音があることを紹介した上で、 「その『本音』を探し出す方法が『根回し』だ。すなわち交渉がうまく成立するためには、前もって相手方の話をよく聞き、その真意(本音)を探り出して懸案の問題を解決する過程が必ず必要だ。よって時間は掛かるものだ」。 実際、日韓国交正常化には足かけ14年もの歳月を要した。 くだんの対日外交本は三十余年前に韓国で出版されたものだが、当時、日本は米国に次ぎ、世界第2位の経済大国だった。 同書は、日本について 「韓国とは一衣帯水の近隣国家として同じ自由民主主義を共通の理念として追求している国だ」とした上で、 「両国が協力関係を維持していくことは韓国の国益のためにも重要なことだ」と断言している。 ■日本を無視する文在寅政権 韓国の現政権は、果たして日本をそう見ているだろうか。 歴史認識や領土問題で対日批判を強めた盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権下、日韓関係は最悪と評価された。 続く李明博(イ・ミョンバク)政権下では大統領として初めて竹島に上陸するなど、さらに悪化。 朴槿恵(パク・クネ)政権下では 「史上最悪」と評された。 ところが文在寅(ムン・ジェイン)政権下で、日韓関係は 「史上最悪」がさらに進み、 「どん底」状態となっている。 領土問題や慰安婦問題に加え、新たにいわゆる徴用工判決やレーダー照射問題が日韓の亀裂を広げている。 徴用工の請求権については、日韓両政府とも国交正常化に伴い結ばれた65年の日韓請求権協定で 「完全かつ最終的に解決した」との立場だが、韓国の最高裁判所はこれを明確に否定した。 文大統領はその対応を知日家の李洛淵(イ・ナギョン)首相に丸投げし、いまだ解決に向けた具体的な動きがみえてこない。 南北関係改善に躍起の文政権が、対北朝鮮以外にまともな外交を行っていないという批判さえある。 前韓国国立外交院長、尹徳敏(ユン・ドンミン)氏は 「現政権は南北関係を中心に世界をみているのが問題だ。それに集中するあまり日韓関係は軽視されている。日韓基本条約に基づく65年体制は崩壊しつつある」と危機感を募らせている。 日韓外交史に詳しい日本人研究者は文政権の対日外交の無策を批判しつつ、こう言い放った。 「日韓関係は一度、破綻してしまえばいい。そうすれば文政権もようやく、その戦略的な重要性に気づくだろう」 ※韓国利権ありきだろうが、親日罪が存在する歴史捏造国家・韓国と関係を正常化しようと画策した戦後日本の政治姿勢が愚か! 未だ、天皇陛下と日本国、日本人を守る気概さえ見せない為体な反日役人が主導する戦後政治に失望! 早く気付けよ 日本人! |
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※ 政治問題 ※ 戦後政治の闇=日韓、日朝、日支関係 日本人が朝鮮人を人間扱いした愚行! 愚行は今尚、続いている! |
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2018・9・9 (1/5ページ) 社会部編集委員 川瀬弘志 【昭和天皇の87年】 産経ニュース 衝撃の伊藤博文暗殺 その凶弾は、日本を対韓強攻策に走らせた |
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「記事抜粋」 韓国併合(2) 1907(明治40)年6月、世界24カ国の軍事・外交関係者らが集まる第2回万国平和会議が開かれていたオランダのハーグに、不可解な活動をする3人の韓国人が現れた。 3人は韓国皇帝高宗が送り込んだ密使で、宿泊先のホテルの門前に韓国国旗を掲揚、英米仏露の各代表のもとを訪れ、自分たちを韓国代表として万国平和会議に出席させるよう求めた。 同会議で (1)日本が韓国の外交権を接収した第2次日韓協約は無効であること (2)日本が韓国で行っている保護政策は不法であること-を訴えるというのだ。 密使は各国メディアなどに向けた演説会も行い、 「日韓条約の無効なるを述ぶること滔々(とうとう)数万言、流暢(りゅうちょう)なる仏語を以て日本が韓国に対する虐政不道徳を指摘」したと、同年7月10日付の大阪毎日新聞が報じている。 だが、各国は第2次日韓協約を承認済みだ。 密使が接触した各国代表はいずれも、まともに取り合おうとはしなかった。 結局、密使は会議に出席できず、外交に疎い韓国皇帝が起こした珍事として片付けられた。 しかし、この事件が日本の国内世論と韓国統監の伊藤博文に与えた衝撃は大きかった。 つづく × × × 前略 伊藤は特別列車内に担ぎ込まれ、随行医師らの手当てを受けたが、胸と腹を撃たれ、手の施しようがなかった。 加害者が韓国人だと知らされた伊藤は、薄れゆく意識の中で、ただ一言、つぶやいたという。 「馬鹿な奴じゃ」 ※伊藤博文は自ら安重根から撃たれたと自覚していたのか? このとき伊藤は、これからの韓国がどうなるか、見えていたのかもしれない。 × × × 前略 反面、自治権は限定され、併合への反対活動は弾圧された。 このため抗日機運は解消されず、大正8年の3・1独立運動などにもつながっていく。 日本は多大な軍事的、財政的負担を強いられ、それは先の大戦時まで変わらなかった。 なお、日韓併合の1年半後、中国では辛亥革命により清朝が崩壊する。 ※日本人は辛亥革命と言うが、何故、革命と定義付けするのか? 皇帝溥儀はシナ人の行動に愛想が尽き統治を自ら放棄し故郷・満州に戻ったのだが・・・ シナ人が革命で統治者の命を奪わず生かす民族か? 日本人が蒋介石に媚び革命と称した可能性がある。 アジアの歴史の歯車が、音を立てて回転しはじめたのだ。 このとき、皇太子となった裕仁親王の生活も、大きく変わろうとしていた--。 ◇ (※1)40年5月22日に高宗に謁見した伊藤は、 「陛下ハ自今(中略)詐略的御行為ヲ断然更メラレサルニ於テハ当ニ日本ノ感情ヲ害スルノミナラス貴国ノ前途極メテ不利益ナル結果ヲ招致スルニ到ラン」と厳しくいさめている (※2)併合により韓国は朝鮮と改称され、朝鮮総督には日本の陸海軍出身者(大将)が代々就任するようになった ◇ 【参考・引用文献】 ○明治40年7月3~15日の大阪毎日新聞 ○神川彦松監修「日韓外交資料集成 第6巻〈上〉」(巌南堂書店) ○伊藤之雄著「伊藤博文をめぐる日韓関係-韓国統治の夢と挫折、1905~1921-」(ミネルヴァ書房) ○満州日日新聞社発行「安重根事件公判速記録(再版)」 ○春畝公追頌会(金子堅太郎代表)編「伊藤博文伝 下巻」(統正社) ○呉善花著「韓国併合への道 完全版」(文芸春秋) ※伊藤博文暗殺は安重根と確定しているのか? ロシアの暗殺説が今だ払拭されていない。 |
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※ 政治問題 ※ 戦後政治の闇=日韓、日朝、日支関係 日本人が朝鮮人を人間扱いした愚行! 愚行は今尚、続いている! |
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2018・9・8 (1/5ページ) 社会部編集委員 川瀬弘志 【昭和天皇の87年】 産経ニュース 危うい朝鮮半島 伊藤博文は韓国を「世界ノ文明国タラシメン」とした |
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「記事抜粋」 韓国併合(1) アジアの強国となった近代日本の大黒柱であり、大帝とも呼ばれた明治天皇の崩御が、国内外に与えた影響は計り知れない。 とくに東アジア情勢は崩御の数年前から揺れ動き、やがて日本と裕仁親王、すわなち昭和天皇の運命を大きく狂わすことになる。 その震源地は、朝鮮半島だ。 そもそも明治維新以降、朝鮮半島は常に日本のアキレス腱(けん)であった。 この地に西欧列強の、ことにロシアの勢力が深く入り込めば、極東の安全保障は重大な危機に陥る。 日本が近代化を成功させつつあった頃、朝鮮半島を治める李氏朝鮮は中国(清)を宗主国とする冊封(さくほう)体制(※1)下にあった。 朝鮮の地位が、列強の侵食が進む清の従属国のままでは将来が危うい。明治27年、日本は朝鮮の独立と指導権獲得を求めて清と開戦、勝利する。だが、日清戦争後も情勢は安定しなかった。 朝鮮王室を中心とする勢力が、南下政策を進めるロシアに接近していったからだ。 日本は朝鮮の内政改革を進めようとしたが、実権を握る閔妃(ミンビ・※2)ら守旧派の妨害もあり、成果をあげられなかった。 イギリスの女性旅行家、イザベラ・バードが書く。 「日本が改革に着手したとき、朝鮮には階層が二つしかなかった。盗む側と盗まれる側である。そして盗む側には官界をなす膨大な数の人間が含まれる。『搾取』と着服は上層部から下級官吏にいたるまで全体を通じての習わしであり、どの職位も売買の対象となっていた」 改革が進まない中、日本軍守備隊や大陸浪人、朝鮮訓練隊などが王宮内に乱入し、閔妃を殺害する重大事件が起きる。 世界に悪名をはせた乙未(いつみ)事変だ(※3)。 事件の背景や殺害の実行犯については諸説あるが、日本の全権公使、三浦梧楼が主導的に関わっていたことは明らかで、日本外交史上、最悪の汚点といえるだろう。 事件後、国王の高宗はますますロシアに接近、混乱と危機が深まっていく。日露関係は緊張し、日本は国防上、ロシアと開戦せざるをえなかった。 × × × 日本が朝鮮半島の指導権を確立するのは、日露戦争に勝利してからだ。 日本は明治38年、国号を 「大韓帝国」にかえた朝鮮=韓国と第2次日韓協約を締結、その外交権を接収した。 ※アジアの小者が日本を真似て「大韓帝国」とは片腹痛い! つづく × × × むろん伊藤は、韓国よりも日本の利益を重視している。 列強が触手を伸ばすのは、列強の尺度からみて非文明の諸地域だ。 「韓国ヲ世界ノ文明国タラシメ」ることは、日本の安全保障に直結するだろう。 また、韓国が近代化し、財政的に自立すれば、日本の負担も軽減されるに違いない。 中略 統監就任から1年が過ぎても情勢が好転しないことに、伊藤は、自らの緩和政策に自信を失っていく。 そんな時、オランダのハーグで、伊藤に政策の180度転換を迫る国際事件が起きる。 そして伊藤は、暗殺されてしまうのだ--。 ◇ (※1)冊封体制 中国の皇帝に朝貢し、自国領の統治権を認めてもらう制度 (※2)閔妃 朝鮮国王高宗の正妃。縁故主義や職権乱用などで政局を混乱させたとされる (※3)乙未事変 1895(明治28)年、朝鮮半島に駐留する日本の守備隊や警官、大陸浪人らと朝鮮親衛隊、同訓練隊の一部兵士らが朝鮮王宮(景福宮)に乱入し、王妃である閔妃を殺害した事件。 閔妃暗殺事件とも呼ばれる。 日本全権公使の三浦梧楼が、閔妃を中心とする親露派を一掃するために主導的に計画、実施し、閔妃と対立していた大院君(高宗の父)も関わっていたとされる。 三浦をはじめ日本側の事件関係者は日本に召還され、裁判にかけられたが、証拠不十分として全員釈放された ◇ 【参考・引用文献】 ○イザベラ・バード著「朝鮮紀行」(講談社) ○神川彦松監修「日韓外交資料集成 第6巻〈上〉」(巌南堂書店) ○伊藤之雄著「伊藤博文をめぐる日韓関係-韓国統治の夢と挫折、1905~1921-」(ミネルヴァ書房) ○李英美著「韓国司法制度と梅謙次郎」(法政大学出版局) ○同書所収の法務補佐官報告 ○伊藤之雄・李盛煥編著「伊藤博文と韓国統治-初代韓国統監をめぐる百年目の検証-」(ミネルヴァ書房) ○同書所収の李盛煥著「伊藤博文の韓国統治と韓国ナショナリズム-愛国啓蒙運動と伊藤の挫折-」 ※歴史にもしもは無いが、大日本帝国が朝鮮半島に拘らず放置していれば、清国とロシアと戦争するだけで事が足りたかも・・・ 誇り高き大日本帝国と皇民が欧米列強の人種差別を甘んじて受け入れただろうか? 答えはNO! 必ず文明の衝突が起き無ければ、一時代が終わらないだろう。 |
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朝鮮に関わると負け! |
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2018・7・28 (1/3ページ) 文化部編集委員 喜多由浩 【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】 産経ニュース (29)清楚たる風姿の妓生 「朝鮮旅行案内記」をたどる |
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「記事内容」 前回、紹介した朝鮮総督府鉄道局(鮮鉄)の元技術者、横山左武郎(さぶろう)(1917~43年)の遺品の中に、昭和9年鮮鉄発行の 『朝鮮旅行案内記』がある。 当時の観光ガイドブックだ。 日本が統治時代の朝鮮に敷いた鉄道網は終戦までに5千キロ以上。 同書では京釜線、京義線など沿線別に詳細な観光ガイドが写真と文で書かれている。 巻頭に、 《本案内記は朝鮮を旅行される方々に朝鮮の概念を得て戴(いただ)く…》とあるように単なる観光ガイドにとどまらず、記述は朝鮮の風俗や文化、政治、歴史におよびなかなか興味深い。 同書の発行は、日本に 「大陸ブーム」が起き、新天地への夢を描いた移住者や観光客が内地から続々と 「海峡を越えて」行ったころ。 横山もその一人だった。 同書は、彼らの必読書だったのだろう。 ◆モデルコースは7日間 同書には当時の、朝鮮旅行のモデルコースがいくつか紹介されている。 標準的なプランは 「朝鮮廻覧(かいらん)7日間」。 下関(山口)と朝鮮の釜山を結ぶ関釜連絡船から鮮鉄・満鉄を乗り継ぐルートだ。 その行程と見どころを同書から追ってみよう。 つづく ◆朝鮮語の単語集も 同書には、あいさつや日常会話に必要な朝鮮語の単語集も載っている。 「朝鮮料理」というコラムには 《昔から伝わっている上流家庭の料理はそれは手のかかった美味なるものが多い。(それに比べて)今日、朝鮮の料理店で味わう料理は、妓生を呼んで幾分でも朝鮮の情緒を味わうに過ぎないところである》 その妓生の写真と説明もあった。 《朝鮮名物のひとつとして妓生がある。内地より見物などに来る人は、大抵酒席に妓生を招く…その宴席を斡旋(あっせん)することにおいては、何ら内地の芸妓(げいぎ)に異なるところはないが、清楚(せいそ)たる風姿は、むしろそれに優(まさ)っている》と。 先の単語集によれば妓生-芸妓。 娼婦はカルボである。 現在は、北朝鮮の地域にある朝鮮きっての名勝 「金剛山」についても多くのページが割かれている。 スキー場や夏のキャンプ場も写真入りで紹介されており、こうしたレジャーが日本統治時代に定着していたことがうかがえる。 ※内なる敵・日本国内に今も朝鮮半島に関わらせたい危険な勢力が存在する。 韓国は7奪で日本が朝鮮語を廃止した言うが大嘘! ハングルはこの時代も生きていた。 終戦後、朝鮮は独立したが、何故、朝鮮語(ハングル)が使用され独立国家が誕生したのか? 大日本帝国は朝鮮語(ハングル)をより使い易く再編集し生かした結果、朝鮮は独立後、何不自由なくハングルを用い統治が出来たのである。 |
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無垢な日本人・過ちに気付いていない日本の政治家と役人達! |
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2018・7・21 (1/3ページ) 文化部編集委員 喜多由浩 【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】 産経ニュース (28)行け!朝鮮開発には人が要る 近代化に身を投じた若者の記録 |
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「記事抜粋」 16歳の横山左武郎(さぶろう)が海峡を越えて、 「朝鮮・満州旅行」へ出かけたのは、昭和9(1934)年5月のことであった。 京都市立第一工業(当時)卒業を翌年に控えた修学旅行である。 9年といえば、満州国建国から2年、新天地・大陸への夢や憧れが高まっていたころだ。 修学旅行は他に 「東京」を選ぶこともできたが、横山は迷わず、朝鮮・満州に決めている。 18日間の旅は、横山の将来をも決定づける鮮烈な印象を与えたらしい。 卒業後、横山は再び海峡を越え 「朝鮮総督府鉄道局(鮮鉄)」に技術者として就職しているからだ。 ※大日本帝国による台湾と朝鮮、南洋諸国(パラオ)の併合政策(日本人と台湾人、朝鮮人、パラオ人に夢と希望を与えた)は欧米列強の植民地支配が全く異なる異質な政策だったこ事が証明されている。 日本は莫大(ばくだい)なカネ、ヒト、モノ、技術をヨソの民族のためにつぎ込んだ。 ※日本政府は未だ、大東亜戦争や台湾併合、朝鮮併合、パラオ併合の総括さえしていない! これこそ日本政府の戦後政治(自民党)の最大の過ちである。 朝鮮の開発・近代化に貢献するため、どれほど多くの日本人が、情熱と志をもって海峡を越えていったことか。 横山少年もまたその一人であったことは遺(のこ)された日記や手紙から、うかがい知ることができる。 ◆夢想う憧れの朝鮮 ◆道半ばでの無念の病死 中略 めいのたか子(68)はいう。 「内地へ戻ってきた叔父は『余命6カ月』と宣告されていたそうです。(朝鮮は不衛生)志を抱いて朝鮮へ渡ったであろう叔父はさぞかし無念だったでしょう。葬儀の香典帳(28日付)には仲良くしていたらしい朝鮮人同僚の名もありました」。カメラが得意だった横山のアルバムには、まだ戦争の影がない朝鮮の写真が多く残されている。 部屋には若い朝鮮女性の笑顔の写真が飾ってあった。=敬称略、土曜掲載 ※天からの警鐘・日本政府(政治家と役人)と日本人は史実に学べ! 日本は朝鮮とシナに関わると必ず不幸が襲う! |
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質の違い・日本人vs厄介な朝鮮人 |
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2018・7・14 (1/4ページ) 文化部編集委員 喜多由浩 【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】 産経ニュース (27)「取り入れる」日本人 朝鮮語の唱歌までつくった |
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「記事抜粋」 朝鮮民族は 「極端に走りすぎる」ときがあると前回書いた。 一方の日本人は古来、和を尊び、争いを嫌い、曖昧、折衷、混在といったことをよしとしてきた。 ただし、これにはプラス・マイナス両面がある。 例えば、国益がぶつかり合う外交の場では間違いなくマイナスであろう。 14年間のすったもんだの末にやっと決着した日韓会談(昭和40年、日韓基本条約に調印)。 日本の領土と疑いようのない竹島の問題を摩擦を恐れて“タナ上げ”してしまい、韓国に実効支配され続けている。 日本が「和」の心で譲っても、相手が同じような寛容な心で歩み寄ってくれるわけではない。 互いの国・国民の財産、請求権を放棄し、完全かつ最終的に決着したことを確認した日韓請求権協定(同)もそうだ。 韓国が主張していた徴用工の補償問題など8項目の要求も 「含む」とした合意議定書まで交わし“完封”したはずだったのに、韓国側からのカネの要求はいまだにやむことがない。 最終的には日韓双方が望んだ形とはいえ、 「経済協力」という曖昧な折衷案でカネを支払ってしまったからだろう。 ◆外国文化を「日本化」 ◆朝鮮の偉人や旧跡も ◆耕筰・露風の幻の唱歌 中略 耕筰は、満州唱歌である『ペチカ』や『待ちぼうけ』(大正13年の 「満洲唱歌集・尋常科一、二年用」に収録)もつくっている。 きっと、京城師範の教育者たちは、芸術性の高い耕筰の曲を朝鮮の子供たちに教えたかったのだろう。 ただ、朝鮮の唱歌にも時期の濃淡があった。 日中戦争翌年の昭和13年に改正された朝鮮教育令(第3次)によって、唱歌も一新され、以後、皇民化や軍国色の強い歌が増えてゆく。 日本人教育者が愛情込めた自由な朝鮮の唱歌を知る人は今やほとんどいない。=敬称略、土曜掲載 ※蒋介石はアメリカに口説かれ大日本帝国を裏切った訳だが、日本人がシナ人に似た民族であったなら、蒋介石は大日本帝国を裏切らず、歴史は大きく変わっていたのだろう。 恐らく朝鮮人も裏切れなかったであろう。 外交は武器を使わない戦争! 愚かな反日日本政府(政治家+役人)は謙虚さを用い外交、アメリカ始めシナ、朝鮮、ロシアには通用せず! |
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日韓併合・日本人に苦労を強いる日本政府! |
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2018・6・23 (1/3ページ) 文化部編集委員 喜多由浩 【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】 日本人必見記事! 産経ニュース (24)警察官の半数近くが朝鮮人だった 映画『望楼の決死隊』に見る実 2018・6・23 黒田勝弘 【ソウルからヨボセヨ】 産経ニュース 世界に類を見ない「工業化された植民地」 (2) |
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「記事抜粋」 戦後の日本映画を代表する巨匠の一人、今井正(ただし)(1912~91年)がメガホンをとり、昭和18年に公開された映画 『望楼の決死隊』(東宝)は、10年ごろの満州国(現中国東北部)との国境に近い朝鮮北部の村を舞台にしている。 “永遠の処女”原節子(1920~2015年)が、匪賊(ひぞく)と対決する国境警察隊所長の若妻役を演じ、戦闘シーンで拳銃をぶっ放す派手なアクションが話題になった。 撮影当時、国境にある朝鮮・咸鏡北道知事を務めていた古川兼秀(かねひで)(1901~74年)は、現地ロケにやってきた原など、撮影隊に会ったことを、よく家族に話していたという。 映画のストーリーを簡単に紹介しよう。 朝満国境を流れる鴨緑江や豆満江が凍結する厳冬期には、満州から匪賊が河を渡って朝鮮へ攻撃を仕掛けてくる。 匪賊には馬賊、土匪、宗(教)匪などがあるが、映画に登場するのは、共産主義者勢力による「共匪」。 北朝鮮の初代最高権力者となる金日成も参加していた 「抗日パルチザン」と称する武装ゲリラ集団である。 朝鮮人住民とともに土地を警備する国境警察隊は、厳寒のなか不眠不休で任務にあたり、共匪との激闘で殉職者を出しながら、ついには村を守り抜く…。 映画の中で、朝鮮人の住民の心情は、日本側にある。 朝鮮総督府後援の作品だから、多少のプロパガンダ色はあるものの、実感情に近いだろう。 共匪の 「抗日」宣伝に共感する住民もなくはなかったが、多くの朝鮮人住民は、民間人への襲撃、放火、略奪、誘拐…と非道の限りを尽くす共匪を恐れ、嫌っていた。 映画の国境警察隊には朝鮮人警察官もおり、共匪側の凶弾に倒れ殉職する。 日本人警察官は悔しさをにじませ、仲間の仇(かたき)をとるべく銃弾が飛び交う最前線に飛び出してゆく。 古川は、北部の平安北道や黄海道で警察部長(現在の県警本部長に相当)を務めた経験があり、匪賊掃討の陣頭指揮もとっていたから、映画には、感慨深いものがあったに違いない。 ■日本時代に刷新改善 ■日朝住民の交流描く 映画『望楼の決死隊』は戦後、軍国主義の国策映画として批判も浴びた。 戦時下という時代もあったろうが、その後は、左翼色の強い監督というイメージが強まってゆく今井にとっては、確かに異色の作品かもしれない。 ただ、この映画の見どころは、匪賊と国境警察隊の派手な戦闘アクションだけではない。 むしろ私には、雄大な朝鮮北部の大自然や、当時の朝鮮人の生活、風俗、日本人と朝鮮人との交流の“息づかい”といったものを丹念に描いたシーンの方が興味深い。 雪と氷に包まれた急峻(きゅうしゅん)な山を見れば、 「こんな奥深い辺鄙(へんぴ)な地に日本人はよく巨大な水力発電所などを造ったな」と感心する。 凍った河を、すいすいとスケートで滑ってゆく朝鮮人住民らのシーンでは、ここが今なお、中朝混在の地であり、密貿易や脱北者が逃げるルートになっていることがよく分かる。 原節子が隣家の朝鮮人の奥さんのお産を手伝いにいったり、殉職した朝鮮人警察官の遺影に日本人の同僚がお雑煮を供えたりするところなどは心温まる場面だ。 2つの民族は反目しあっていたのではない。 映画に登場するような国境警察隊や日朝の警察官の不断の努力によって、朝鮮の治安は改善され、人口は約2倍に増加し、農業・商工業の飛躍的発展を見たのである。=敬称略、土曜掲載 ※共産主義と戦った大日本帝国! アメリカの共産主義者から飼いならされた嘘つき安倍総理率いる自民党は何を考え敵性国家・韓国に関わり、多くの日本人を拉致した北朝鮮に関わろうとしているのか? 自民党と経団連は再び日本人を犠牲にするのか? 日本人と台湾人はシナ人と朝鮮人と全く違う人種。 日本人がシナ人と朝鮮人同様、人間を無慈悲に扱えるなら、シナや朝鮮半島に関わってもいいが・・・ どう考えても日本人はアジアの癌(シナ・朝鮮半島と)に関わるべきではない。 (2) 「記事内容」 中朝国境の西側の鴨緑江沿いを遡ると、河口に近い中国・丹東の対岸の新義州にでっかい煙突が見える。 観光ガイドは 「日本時代の王子製紙の工場で今も動いている」という。 さらに中流には日本時代に水力発電のために造られた巨大な水豊ダムがあり、古代・高句麗の有名な 「広開土王碑」がある集安では、対岸の満浦に巨大な 「日本時代の銅精錬工場」が見える。 中朝国境は東側は豆満江だが、観光スポットの図們で川の水が濁っているのを見てガイドは 「上流に鉱山があるから」という。 上流の北朝鮮側に鉄鉱山で有名な 「茂山」があり、日本時代に三菱鉱業が開発した世界最先端の鉱山だった。 日本統治時代の北朝鮮には東海岸を中心に工業地帯が形成され、多くの日本企業が進出していた。 日本の朝鮮半島併合をよく 「植民地支配」というが、世界史的に見て植民地であんなに工業化を進めた例はほかにない。 そこから 「正確には植民地支配ではなかった」という見方も出てくる。 日本の敗戦・撤退後、ソ連進駐軍がその工業施設のいいところを持ち去ったといわれるが、北朝鮮はソ連(ロシア)に返せと言ったことはあるのかしら。 将来、日朝間で 「支配の補償」という話が出るかもしれないが、誰が何をどう補償するのか一悶着は必至だろう。 ※黒田よ、記事を書くならもっと正確に表現しろ! 日本は確かに朝鮮を支配したが、朝鮮から頼まれ、嫌々併合したにも拘らず、何処に補償する責任があるのか? お主は大日本帝国が半島支配した補償を誘発しているのか? 大日本帝国は朝鮮を植民地にしたのではない! 朝鮮半島を植民地支配しなかった日本人らしい大日本帝国。 日本政府は大東亜戦争の総括さえせず、ドイツ同様、大日本帝国を切り離しており、この事が日本の戦後の自民党政治に大きな影を落とし日本人に災いを齎している。 |
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併合された事実を認めたくない朝鮮人! |
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2018・4・1 ユーチューブ GHQメンバーが記した朝鮮の認めたくない真実 |
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「コメント」 チャンネル復活のため、テスト上げです。 以前の動画のリメイク版です。 オープニングは、今後変更予定のチャンネル名(仮)になっています。※紛らわしくてスミマセン |
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欧米と全く違うに日帝統治(植民地では無く本土並み統治) |
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2018・3・2 チャンネル桜 【Front Japan 桜】日帝支配 こんなに立派だった! / 民泊新法で日本の治安はどうなる?! / 朝日の改憲批判は的外れ[桜H30/3/2] |
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「放送内容」 キャスター:髙山正之・saya ■ ニュースPick Up ・森友問題~問われる報道の根幹 ・朝日の改憲批判は的外れ ■ 日帝支配 こんなに立派だった! ■ 民泊新法で日本の治安はどうなる?! |
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朝鮮半島に関わると損ばかり、もう関わるな! |
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2017・12・20 (1/2ページ) 【目を覚ませ韓国】 産経ニュース 近代化のため日韓併合推進した李氏朝鮮 それぞれが生き残るために選んだ「マイナスの選択」 |
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「記事内容」 「日本は朝鮮半島を軍事力で植民地化し、収奪の限りを尽くした」 戦後の日韓関係は、このような歴史認識を前提として構築されてきた。 だが、これは明らかに「歴史の歪曲(わいきょく)」である。(夕刊フジ) 李氏朝鮮は1897年、国号を大韓帝国(以下韓国)に変更した。 韓国は1905年、日本の保護国となり、日本人統監の支援の下で、自ら近代化への道を歩み始めた。 ただ、当時の韓国には、近代国家へ脱皮するためのインフラが決定的に不足していた。 さらに、儒教による身分制度でがんじがらめだった国家体制を、朝鮮人自身が打破することは極めて困難であった。 そこで、かつて李朝に反旗を翻した東学党の流れをくむ人々が「一進会」を結成し、日本との合邦運動に立ちあがった。 代表の李容九(イ・ヨング)は一進会100万人会員の名義で、全国民に訴える「合邦声明書」を発表した。 続いて、韓国皇帝に対する上奏文、曾禰荒助(そね・あらすけ)統監、李完用(イ・ワンヨン)首相へ「日韓合邦」の請願書を出している。 これに対し、初代統監だった伊藤博文は大反対した。 彼の願いは韓国が近代化を遂げ、やがて日本とともに東亜(=東アジア)に並び立つことにあった。 ところが、その伊藤を、安重根(アン・ジュングン)という人物がハルビン駅頭で暗殺してしまった。 安自身は、日露戦争における「日本国天皇の宣戦書」を高く評価し、日本の勝利をたたえている。 裁判の過程では、何と「天皇陛下の父君(孝明天皇)を殺害した」ことを、伊藤暗殺の理由の1つに挙げている。 彼は本来、日本国天皇に心酔する「親日派」であった。 朝鮮への思いを同じくする伊藤を誤解し、殺害したことで、皮肉にも併合を促進する結果を招いてしまったのだ。 日露戦争後もロシアは太平洋進出の野望を捨てておらず、当時の客観情勢から見て、朝鮮半島を日本国の一部にして直接守る以外に、国の安全を確保するすべがなかったのは事実である。 しかし、それには膨大な費用が必要となる。 実際、1905年から45年まで、国家予算の10%以上を朝鮮半島の支援に当てている。 「収奪された」のはむしろ日本の納税者なのだ。 一方、韓国にとっても日本と一体化する以外に外国の植民地とならず、近代化を遂げる道はなかった。 当時、最大の政治勢力であった一進会の訴えもあって「日韓合邦」への「民意」が韓国内に拡大し、李完用首相以下閣僚も近代国家へ脱皮するための唯一の道として日韓併合を選んだ。 「日韓併合」は当時の弱肉強食の時代に、日韓それぞれが生き残るために選んだ、ぎりぎりの「マイナスの選択」であった。 ※安重根による伊藤博文暗殺はロシアが関わっている説もあるが、取り調べで何も分からなかったのだろうか? 韓国は既にシナに傾いており、何時の時代も朝鮮人は隣国を利用し漁夫の利を得ようと画策するのが朝鮮民族、日本は半島に決して関わるな! 石平さんも本に記している。 |
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2015・11・18 ユーチューブ 【韓国納得】韓国に対し日本が行った恐ろしい大罪=韓国人の日本人に対する格言 MAXSCOPE JOURNAL |
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「コメント」 今回は、すでにご存じの方が多いと思いますが、ある作成者不詳のチラシから、日本がかつての朝鮮半島に対してやってしまった数々の罪について整理し、深く反省する回とさせていただきます。 あまりにも身勝手で、残酷なことを日本はやってしまったということをどうか直視していただきたいと思います。 ※大日本帝国の多くの善政が語られているが、朝鮮人が何故、嘘を言い、植民地と言うのか? 訳が分からない。 |
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2015・8・15 On 2013年8月2日 重要 正しい日本の歴史 日韓併合の真実⑬ |
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「記事内容抜粋」 日本併合で、朝鮮はどう変わったのか 日韓併合時、半島の状況 日本による鉄道敷設 人口の推移 日本による圧政、虐殺、強制連行があり、塗炭の苦しみを受けていたならは、半島の人口は併合後、減っているハズ、人口の推移を日韓に残る公式記録により確認 1907年 1,167万人 (2年前に大日本帝国の保護国になる) 1910年 1,313万人 (日韓併合) 1942年 2,553万人 (昭和17年・大東亜戦争初期) 何と、併合から僅か30年で約2倍に人口が増えている 国家の基本 金融制度の確立 農業改革 米の生産高 ※併合後の実態が記されている。 |
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分かり易い日韓併合 |
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2015・3・18 ユーチューブ 今さら聞けない『隣国の英雄 安重根の真実』伊藤博文の暗殺は某国にとって本当に英雄なのか MAXSCOPE JOURNAL |
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「コメント」 〇国では、安重根(アン・ジュングン)は英雄として崇められている。 彼は日本の初代内 安重根は〇日の思想を持 伊藤博文暗殺の本当の動機とは・・・ 安重根はロシアスパイから洗脳された可能性が拭い切れない。 安重根は明治天皇に感謝の念さえ抱き、朝鮮人は大日本帝国に感謝していると語っており、伊藤博文を暗殺する動機が見当たらないのである。 |
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2014・9・10 ユーチューブ 韓国は『歴史』を直視せよ~慰安婦と日韓併合の嘘を暴く!【ザ・ファクト#14】 |
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「コメント」 韓国が世界的に行っている反日宣伝。 韓国は日韓併合時代を”暗黒時代”とし、慰安婦の強制連行等、日本による暴虐があったと主張しています。 2013年3月1日「三・一独立運動」の式典で 『加害者と被害者の立場は「千年の歴史が流れても変わらない」』 とパク・クネ大統領は言いました。 しかし、本当に暗黒時代だったのでしょうか? その”暗黒時代”には 日本が行った数々の近代化政策がありました。 韓国は歴史を直視せよ! 慰安婦と日韓併合の嘘を暴く! 番組では、 広島大学名誉教授の崔吉城氏、台湾出身の評論家の黄文雄氏、近現代歴史研究家の水間政憲氏にインタビューし、日 韓併合時代の真実を追求しました。 <出演> メインキャスター・里村英一(幸福の科学広報局) ※韓国の歴史は嘘だらけ、嘘をついて迄、何を守ろうとしているのだろうか? |
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2013・2・4 ユーチューブ チャンネル桜 大注目 【水間政憲】「日韓併合」時代の真実[桜H25/2/4] |
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「コメント」 大統領への就任を前に、最近やたらと「歴史の直視」を言い立てる韓国の朴槿恵氏。 しかし具体的な話には全く踏み込んでこず、まるで日本に「察しろ」と言わんばかりの腰の引けた態度である。 「歴史の直視」は望むところであるが、日本としては従来のような不名 今回は、その分野で目覚ましい功績を挙げてこられ |
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2010・7・23 ユーチューブ チャンネル桜 大注目 1/4【討論!】日韓併合の真実とこれからの日韓・日朝関係[桜H22/7/24] 2/4【討論!】日韓併合の真実とこれからの日韓・日朝関係[桜H22/7/24] 3/4【討論!】日韓併合の真実とこれからの日韓・日朝関係[桜H22/7/24] 4/4【討論!】日韓併合の真実とこれからの日韓・日朝関係[桜H22/7/24] |
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「コメント」 ◆日韓併合の真実とこれからの日韓・日朝関係 パネリスト: 黄文雄(作家・評論家) 杉本幹夫(自由主義史観研究会理事) 高山正之(ジャーナリスト) 西岡力(東京基督教大学教授) 三浦小太郎(評論家) 宮脇淳子(モンゴル史家・学術博士) 室谷克実(評論家) 司会:水島総 |
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